宮城の酒づくりの歴史

宮城の酒づくりのルーツは伊達政宗公から

仙台藩御用酒発症の地 石碑宮城の酒づくりの始まりは慶長十三年(1608)という記録が残っています。
食通で、酒をこよなく愛した仙台藩祖伊達政宗公は、柳生但馬守宗矩の紹介により、大和(奈良)の榧森(かやのもり)に住んでいた酒造職人の又五郎なる人物を招き、「御城内定詰御酒御用」として召し抱えたといいます。又五郎は、切米十両と十人扶持と榧森又右衛門の姓を与えられるとともに、城内三の丸の南「御太鼓部屋」の下に酒蔵と居室を拝領し、仙台藩内の酒づくり技術向上に貢献しました。この酒蔵は、政宗公自らの指図により建てられたと云われ、その場所柄も「清水門」の名の由来する名水の湧出するところでした。

宮城純米酒榧森家は、初代又右衛門から十二代に至るまで御酒御用を務め、その醸造する酒は、御膳酒・夏氷酒・忍冬酒・桑酒等二十数種にも及び、仙台領内の醸造技術の発展、向上に多大なる影響を与えました。藩御用達酒屋の発展とともに、仙台城下では町酒屋も登場し、お互いに酒造技術を競い合う中で、宮城の酒づくりは磨かれていくことになりました。

南部杜氏の技と心が作り出す日本酒

酒現在、宮城の酒蔵で活躍している杜氏のほとんどが南部杜氏です。藩政時代に登場して以来350年余の歴史を持つ南部杜氏は、越後杜氏(新潟)、丹波杜氏(兵庫)と並ぶ日本三代杜氏の一つです。その仕事エリアは東北だけに限らず、山陰と九州を除く日本全国にわたり、確かな技と熟練の仕事で信頼を高めています。

酒蔵の様子東北を発祥とする南部杜氏の酒づくりは“端麗辛口”を特徴とします。厳しい東北の冬が育んだ低温長期発酵の技術が、端麗で辛口の酒を生みだし、それがいま、日本酒の味の主流をつくり出しています。
毎年11月から翌年4月までの6ヶ月間、杜氏の仕事は休みなく続きます。蒸米から始まって麹づくり、酒母づくり、醪づくり、三段仕込みと、黙々と酒づくりに向かう杜氏の意気込みが、蔵の中で豊饒の夢をゆっくりと開かせていくのです。

このサイトは、人材確保推進事業の助成金によって作られております。